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2008.06.21
スタンス
梅雨前線が停滞し、大雨洪水警報発令中の熊本からです。^^;;
時をあわせるかのごとく、我が家の計画にも昨日、時間雨量100mmをこえるような集中豪雨が・・・
やむを得ませんね。。
内容をクドクド書いても愚痴にしかならないでしょうから省きますが・・・
時をあわせるかのごとく、我が家の計画にも昨日、時間雨量100mmをこえるような集中豪雨が・・・
やむを得ませんね。。
内容をクドクド書いても愚痴にしかならないでしょうから省きますが・・・
タフロック注入です!
でも、その前に溜まっている水だけはポンプ排出しなきゃいけませんので、私の設計者としてのスタンスだけは表明しておこうと・・・^^;;
私はよく弟子たちに「設計」を「山登り」に例えて話をします。
山はとてつもなく高く、険しく、素人が一人で登ることは不可能です。
我々(設計者)は、その山に素人を案内する「シェルパ」なのです。
山頂に着くためにシェルパは自身が選んだ最適な道を辿るでしょう。険しい山ですから一直線に登れるはずもなく・・・道は一時下るかもしれません。
「私は山に登りたいのに、なぜ下るんですか?」
「だいじょぶですよぉ。ちゃんと着きますから^^」
しばらく進むと路肩から蛇がこちらを睨んでいる。
「蛇がいますよぉっ!」
「大丈夫。飛び掛ってはきませんから。さっさと通り過ぎればいいんです」
先には分かれ道が・・・
「どっち行くんですか?」
「右ですよ。地図はちゃんと頭の中にありますから^^」
山頂近く。昨日の雨で小規模ながらがけ崩れで道がふさがれている。
「通れますかねぇ?」
「大丈夫、ちょっとだけなんで何とかなるでしょう。^^」
ようやく山頂。
「どうです?ちゃんと着いたでしょ^^」
この登山は果たして楽しいのだろうか?
次のストーリー。
「道が下ってますよ?」
「ええ、ココから谷筋にはいるんで一度下りますよ。500m程進むとまた急な登りになりますから、ここで体力ためてくださいね」
「蛇がいますよぉっ!」
「この蛇は○○って種類で大人しいし毒もないんですよ。ほれっほれっ。どうです。すたこら逃げていったでしょ^^」
「どっち行くんですか?」
「左に行くと道はいいんですけど最後に川に入らなきゃいけません。右なら少々草ボウボウにはなりますけど、昨日の雨で増水が考えられるから、今日は右に行きませんか?」
「通れますかねぇ?」
「昨日は降りましたからね。こんなこともあろうかとロープを準備してきたんですよ。これがあれば安全に通れますよ」
ようやく山頂。
「登山を楽しんでいただけましたか?」
違いが判っていただけるでしょうか?
私は設計というものは後者であるべきだと考えるのです。
医療行為と同じく、きちんとしたインフォームド・コンセントが行われなければ、「建築」という非常に一般に見えづらく専門知識が必要な世界、そして何より不透明な宿命を持つ上での信頼は築けません。
いかに設計者が一生懸命仕事をしていても、どんなにすばらしい絵が頭の中にあろうとも、それが施主に届かないのであれば意味を成さないのです。
我々は、施主に真意を汲み取ってもらうために「図面」「パース」「プレゼン」など多くの表現手法を身につけています。それを正確に、フルに使えばインフォームド・コンセントは充分なものになるはずです。
別に今回の件に限ったことではなく、私の周りにいる設計者の中にも
「空間の質なんて素人には理解できないよ」
「そんなことは信用して任せてくれればいいんだよ」
と言い放つ人がいることは事実です。
施主の中にも、
「そんな面倒くさいことは任せるから」
と知りたがらない人も居ます。
普通のサラリーマンならば一生に一度の山です。
せっかく登るのであれば「楽しく登りたい」「楽しく登ってもらいたい」と思えないでしょうか?
ただ登るだけなら・・・設計事務所は必要ないです。
単なる山登りにそれ以上の価値観を与えられることこそ設計事務所の存在意義なのではないでしょうか?
グダグダと書いてしまいましたが、事ここに到って私ができる事といえばこれぐらいです。^^;
私自身、今は自分のことを設計者だとは思っていません。今の私は「ものづくり」なんです。ただひたすら、「いいもの」を創りたいと考えています。
その上で、今のわたしの「ものづくり」に最大の障害となっているもの・・・
それは私が彼らを信用していないという事実です。
ですから、最初に設計者と出会ったときのイメージを唯一の拠りどころとして、無条件に私はもう一度彼らを信頼しようと思います。
ここ最近の出来事が後で笑い話に出来ればいいし、このことについては竣工まで封印するつもりです。
設計者がこれを読んでくれて、そして忘れないでいてくれることを願います。
タフロック注入完了〜^^;
(効くかな??)^^;;
でも、その前に溜まっている水だけはポンプ排出しなきゃいけませんので、私の設計者としてのスタンスだけは表明しておこうと・・・^^;;
私はよく弟子たちに「設計」を「山登り」に例えて話をします。
山はとてつもなく高く、険しく、素人が一人で登ることは不可能です。
我々(設計者)は、その山に素人を案内する「シェルパ」なのです。
山頂に着くためにシェルパは自身が選んだ最適な道を辿るでしょう。険しい山ですから一直線に登れるはずもなく・・・道は一時下るかもしれません。
「私は山に登りたいのに、なぜ下るんですか?」
「だいじょぶですよぉ。ちゃんと着きますから^^」
しばらく進むと路肩から蛇がこちらを睨んでいる。
「蛇がいますよぉっ!」
「大丈夫。飛び掛ってはきませんから。さっさと通り過ぎればいいんです」
先には分かれ道が・・・
「どっち行くんですか?」
「右ですよ。地図はちゃんと頭の中にありますから^^」
山頂近く。昨日の雨で小規模ながらがけ崩れで道がふさがれている。
「通れますかねぇ?」
「大丈夫、ちょっとだけなんで何とかなるでしょう。^^」
ようやく山頂。
「どうです?ちゃんと着いたでしょ^^」
この登山は果たして楽しいのだろうか?
次のストーリー。
「道が下ってますよ?」
「ええ、ココから谷筋にはいるんで一度下りますよ。500m程進むとまた急な登りになりますから、ここで体力ためてくださいね」
「蛇がいますよぉっ!」
「この蛇は○○って種類で大人しいし毒もないんですよ。ほれっほれっ。どうです。すたこら逃げていったでしょ^^」
「どっち行くんですか?」
「左に行くと道はいいんですけど最後に川に入らなきゃいけません。右なら少々草ボウボウにはなりますけど、昨日の雨で増水が考えられるから、今日は右に行きませんか?」
「通れますかねぇ?」
「昨日は降りましたからね。こんなこともあろうかとロープを準備してきたんですよ。これがあれば安全に通れますよ」
ようやく山頂。
「登山を楽しんでいただけましたか?」
違いが判っていただけるでしょうか?
私は設計というものは後者であるべきだと考えるのです。
医療行為と同じく、きちんとしたインフォームド・コンセントが行われなければ、「建築」という非常に一般に見えづらく専門知識が必要な世界、そして何より不透明な宿命を持つ上での信頼は築けません。
いかに設計者が一生懸命仕事をしていても、どんなにすばらしい絵が頭の中にあろうとも、それが施主に届かないのであれば意味を成さないのです。
我々は、施主に真意を汲み取ってもらうために「図面」「パース」「プレゼン」など多くの表現手法を身につけています。それを正確に、フルに使えばインフォームド・コンセントは充分なものになるはずです。
別に今回の件に限ったことではなく、私の周りにいる設計者の中にも
「空間の質なんて素人には理解できないよ」
「そんなことは信用して任せてくれればいいんだよ」
と言い放つ人がいることは事実です。
施主の中にも、
「そんな面倒くさいことは任せるから」
と知りたがらない人も居ます。
普通のサラリーマンならば一生に一度の山です。
せっかく登るのであれば「楽しく登りたい」「楽しく登ってもらいたい」と思えないでしょうか?
ただ登るだけなら・・・設計事務所は必要ないです。
単なる山登りにそれ以上の価値観を与えられることこそ設計事務所の存在意義なのではないでしょうか?
グダグダと書いてしまいましたが、事ここに到って私ができる事といえばこれぐらいです。^^;
私自身、今は自分のことを設計者だとは思っていません。今の私は「ものづくり」なんです。ただひたすら、「いいもの」を創りたいと考えています。
その上で、今のわたしの「ものづくり」に最大の障害となっているもの・・・
それは私が彼らを信用していないという事実です。
ですから、最初に設計者と出会ったときのイメージを唯一の拠りどころとして、無条件に私はもう一度彼らを信頼しようと思います。
ここ最近の出来事が後で笑い話に出来ればいいし、このことについては竣工まで封印するつもりです。
設計者がこれを読んでくれて、そして忘れないでいてくれることを願います。
タフロック注入完了〜^^;
(効くかな??)^^;;
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